「インパール作戦」は「無謀な作戦」だったのか?
「インパール作戦」は、「無謀な作戦」の代名詞として使われる。
日本からの視点で、失敗の責任は牟田口廉也中将の独断で、兵站に問題があり、多くの日本兵が死亡した「史上最悪の作戦」と言われている。
この側面だけにフォーカスしていてよいのか?
という問題提起から、この本は「インパールの戦い」というテーマで戦い自体を、英インド軍、日本の大本営、現地住民、日本軍、インド国民軍(INA)、光機関、Vフォースといった多面的観点からそれぞれかなり厚く解説している。
これを読めば、
・牟田口中将の独断ではなかったこと
・イギリスに2年の猶予がなければ戦況はわからなかったこと
・インパールの占拠は援蒋ルートを抑えるという意味があったこと
・(イギリスの敗北につながりかねない意味でインドは要衝であったイギリスの認識とは裏腹に)大本営がインドの重要性を軽視していたこと
などが読み取れる。
代名詞(固定観念)になっている戦史に対して、勝った側、負けた側、その周辺(特に情報戦・インテリジェンス)の面から見直しをする大切さがわかった。